こんなに働いてどうするんだ。
目次
労働時間倍増計画
入社してから4年が経過した。
新人・若手と言われる時代を過ごし、仕事にも慣れ、失敗もある程度経験してきたので、一人前の社会人としてこれからはバリバリ活躍できると思っていた。
おそらく一般的にはそうなると思う。大半は、営業所の若きエースとしての期待を担う存在に。
だが私の場合は違った。残念なことに更なる過酷な労働環境下に突入していくことになったのだ。
わかりやすく言うと、そう、社畜生活だ。若きエースなんて、とんでもない。
世間でいう社畜とは、「社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態」のことを指すようだ。
私の場合は労働時間が異常に増えた。
まず、なぜこうなったのかについてだが、大きな要因の一つに人員削減により、営業所の人数が減り、一人当たりの負荷が増えたことが挙げられる。
私のとある一日のスケジュールを参考までに書かせていただきたい。
- 04:30 起床
- 06:30 出社
- 20:00 退社
- 21:00 仕事(第二ラウンド:カフェなど)
- 23:00 帰宅
- 24:00 就寝
といった感じである。この生活を4年間続けてきた。
今改めて振り返ると、よくこんな生活を続けてこれたなと不思議で仕方がない。
中には共感してくれる方もいらっしゃるかもしれないが、普通じゃありえないし、貴重な人生の時間を無駄にしていると思う人が大半だと思う。実際、今の私はそう思う。
まだ20代で体力があったから潰れずに続けられたのかなとも思うし、なんだかんだ負けず嫌いな性格なので自分に負けたくなかったのだと思う。
よく言えば、目の前の仕事に集中して取り組んでいたのだと。
当時、後輩と仕事終わりにマックで仕事をしようと行った際、ポテトを持ったまま眠ってしまったこともあった。今思うとやばい笑。
鳴りやまない携帯電話
携帯電話を発明しないで欲しかった。そう思った方はいるだろうか。私は当時、本気で思った。
会社にとっての主要先を何社か担当し、他社競合のメイン先も何社か担当し、尚且つ担当した得意先は規模が大きく、社員数も多かった。
そうなると必然的に関わる人の数、案件の数は多くなる。当然売上計画も高くなっていった。
一人のお客さんとの電話中に別のお客さんから電話がかかってくる。
電話を切り終えて携帯をみると不在着信が数十件たまっていた、なんてこともあった。
一日に何十件も電話するので、時々何のことで電話したか分からなくなることもあった。
30分間、電話がならない時が珍しいレベルだった。
単純にキャパオーバーしていたのだと思う。
電話をしてる間は、何も作業ができないので、携帯電話は人の時間を搾取するツールだとも思ったこともある。
携帯を胸ポケットに入れていたのだが、何度も鳴ってはいないのに携帯のバイブレーションが発動したと錯覚し、携帯を確認したこともある。
ここまでくると病気だろう笑。
時には携帯電話を見たくなくて、クッションの下に隠しながら仕事をしたりもしていた。
携帯電話、離れていても人と繋がれる非常に便利なツールだが、敵になった瞬間の強敵感は半端ない。恐るべし携帯電話。
社畜の意地
主要先を何社か担当していたので定例会が毎週あった。その準備も含めるとだいたい毎週の予定が埋まってしまう。
そんな中、同時に他社競合のメイン先も何社か担当していたのでこちらへの活動不足が懸念された。
全得意先へ力を平等に割くことは不可能だったので、私はその中でもエリアNO1の他社競合先で実績を作ることを決めた。
訪問できる日が限られていたので、毎週この日のこの時間に訪問するという事を決め、訪問を続けた。
すると次第にそれまで全く私に無関心だった社員も話かけてくれるようになったりと、雑談ができる関係になってきた。
さらに訪問を続けると。
私が訪問する時間帯に合わせて社員の方がいてくれるようになり、商品に関する質問を用意して待っていたりしてくれたのだ。
額は少額だが、次第に注文がもらえるようになってきた。
そして時には競合他社の営業マンと鉢合わせることもあった。
私はその営業マンよりも絶対に先に帰ることはしなかった。
これは社畜の意地である。「絶対負けない」と謎の闘いを自らに設定していた。
偉大なるブラザーと誰よりも一緒の時間を過ごしてきた私にとっては、これくらいは当たり前だと思っていたし、これでもブラザーの足元には及ばないと思っていた。
知らぬ間に、私はブラザーの背中を追いかけていたようだ。
自分で決めたことに、どこまで馬鹿になって無心に取り組めるか。これは自分自身との闘いでもあった。
結果、この地道な行動が実を結び、最終的にはうちの会社としてその得意先で過去最大の売上実績を作ることができた。
自分自身で決めたことをどこまで馬鹿になってやり抜けるか。その先には結果云々は別にして必ず何か得られるものがある。
何か得られた時点で、失敗や成功なんて結果はどうでもよく、やって良かったのである。
この経験は私の人生においても貴重な経験値になった。行動すれば何か得られるのである。
結果として、私はこの地に5年間いた。
転勤族の宿命、転勤である。
新天地はどんな物語が待ち受けているのか。期待と不安を抱えながら、5年間お世話になった地を離れた。
それでは次回、「出会いと感謝」でお会いしましょう。